一覧|Front|検索|物語
須藤美智子 - Sudo Michiko

須藤美智子(すどう・みちこ)は、ベテランのアーティスト・マネージャーで、自らプロデュースも手がける。ペンネームおよび、旧芸名は「はらちえみ」。UTPの設立者・社長。1968年生。

1982年から1987年(13〜19歳)、多人数のアイドルグループ「サンデーシスターズ」に所属。解散後、歌手としてソロデビューするも、ほとんど売れず。1990年(21歳)からホテルのラウンジでムードミュージックをピアノで弾き語りしたり、デパートでエレクトーンを弾いてお客さんからのリクエストに応えて演奏する仕事などを始めた。この時期、自作の曲を自主制作CDにして、インディーズを扱ってくれるレコード店に持ち込んだりしたものの、これもほとんど売れていない。ただこの時期、編曲の勉強をしたりDTMをしたりしていたのが、後で役に立つことになる。

2000年(31歳)に、ビリーブを見い出し、かつて歌手として自分が所属していた○○プロに売り込みに行ったら浦中部長から「じゃ、あんたマネージャーやって」と言われ、2003年の解散までマネージャー(兼プロデューサー)を務める。

その後、同じ○○プロの別のユニットのマネージャーをしていたのだが、2004年9月に同事務所のアイドルユニットエピメタリズムで未成年のメンバーが飲酒写真を撮られて解雇されるトラブルがあり、マネージャーも責任を取って辞職(事実上解雇)したので、その後任のマネージャーに任命されて、エピメタリズム解散の2007年まで務めた。その間もよく路上ライブなどをこまめに観察したり、インディーズのCDを積極的に買って聴いてみたりして何組かのユニットをスカウトし、デビューさせている。この時期、けっこう編曲やCDプロデュースの仕事をしている。時には自分で作曲して曲を提供することもあった。

エピメタリズム解散後「少し休みたい」といって○○プロを辞職。協力会社の△△社に移って、デパートや遊園地などでのミニライブの運営をしながら、やはりインディーズ・アーティストを育てる仕事をしていた。(浦中さんによれば、△△社に行ってから、アーティスト発掘の仕事がむしろ活発になった)

やがて、冬彦政子に遭遇。ローズ+リリーとしてふたりを売り出すが、契約の不備を指摘され責任を取って△△社を退職。1年半にわたって冬彦たちとの接触を禁止される。自粛期間にUTP社を設立。ローズ+リリーとの再契約に成功。ローズクォーツスターキッズ、など多くのアーティストを世に出す。△△社とは友好関係を保つ。

2029年12月に無免許・飲酒した少年の暴走運転の車にはねられ、半年間入院するはめになり、この時UTPの社長を花枝?に譲って会長に就任する。しかし退院後は「経営から離れて楽になった」のをいいことに、車を運転し車中泊で全国を回りながら、有望アーティストの発掘にいそしむようになる。

UTPの社員第2号である桜川悠子は実は美智子の実の娘であるが、そのことを知る人は少ない。


category:制作スタッフ